ISEKIドリームギャラリー|井関農機株式会社

1926年
大正15年8月 「井関農具商会」を創立
1936年
昭和11年4月 「井関農機株式会社」を設立
1946年
昭和21年5月 松山市八代町に新工場を建設
1949年
昭和24年10月 熊本市健軍町に「熊本工場」を新設
1961年
昭和36年6月 東京証券取引所に株式を上場
1961年
昭和36年12月 「株式会社新潟井関製作所」を設立( 現・井関新潟製造所)
1967年
昭和42年3月 田植機、コンバイン、バインダの生産開始
1969年
昭和44年5月 東京支社を本社事務所と改称
1971年
昭和46年2月 ブラッセルにヨーロッパヰセキ株式会社を設立
1972年
昭和47年9月 松山工場(和気)を増設、本社を同所に移転
1982年
昭和57年10月 愛媛県伊予砥部町に技術部を移転
1993年
平成5年5月 本社事務所を荒川区西日暮里に移転
2001年
平成13年4月 製造所の分社化を実施 ㈱井関松山製造所、㈱井関熊本製造所を設立
2003年
平成15年6月 中国江蘇省に井関農機(常州)有限公司を設立
2011年
平成23年7月 中国湖北省に東風井関農業機械(湖北)有限公司を設立
2012年
平成24年10月 PT. 井関インドネシア(PT.ISEKI INDONESIA)を設立
2013年
平成25年10月井関松山製造所内に、ITTC(ISEKI・テクニカル・トレーニング・センター)を設立
2013年
平成25年10月タイにISEKI SALES(THAILAND)CO.,Ltdを設立
2014年
平成26年5月井関常州と東風井関を事業統合し、東風井関農業機械有限公司を設立
2014年
平成26年7月フランス販売代理店Yvan Beal S.A.S、YB Holding S.A.Sの子会社化
2015年
平成27年1月フランス子会社 Yvan Beal S.A.Sを、ISEKI France S.A.Sへ社名変更
YB Holding S.A.Sを、ISEKI France Holding S.A.Sへ社名変更
2015年
平成27年10月茨城県つくばみらい市に、夢ある農業総合研究所を設立
2016年
平成28年11月タイにISEKI(THAILAND)CO.,Ltdを設立
2017年
平成29年1月茨城県つくばみらい市に、IGTC(ISEKIグローバルトレーニングセンター)を設立
2018年
平成30年1月井関松山製造所が井関邦栄製造所を合併
ISEKI France S.A.SがISEKI France Holding S.A.Sを合併
製品の歴史

1926年(大正15年)8月、「井関農具商会」が創設され、
その第一号として全自動籾すり機を生産。

山本式自動選別機に岩田式籾はぎ機を取りつけ、それに井関独自の技術を織り込み、当時1台400円で販売され、年を追うごとに増産された。

日中戦争により農村の労働力不足が耕うん機の需要を喚起し、これを作ろうとするメーカーが増加。

当社も1939年(昭和14年)から耕うん機の研究に着手した。

そして1940年(昭和15年)春に試運転にこぎつけ「ロータリ式1号R型」を完成。

太平洋戦争の勃発と資材不足で耕うん機の生産は中断し、本格生産は戦後を待たなければならないこととなったが、この耕うん機は、現在市販されている耕うん機の原形をとどめている。

1965年(昭和40年)に本格水田作業用として生産販売を開始。

ポルシェ譲りのスタイルと小型軽量の機体は多くのTBファインを醸成していった。

1967年(昭和42年)には京都大学トラクタ研究会により富士登山を敢行し見事登頂に成功。

高所におけるエンジン性能と傾斜角と走行性能など高い性能が評価された。

現在の耕耘機

1966年(昭和41年)9月、当社が世界に例のない自脱型コンバイン「HD50型」を完成させた。

業界内外の注目を集め、翌1967年(昭和42年)より量産開始。

刈取りから脱穀までの作業時間を16分の1に短縮した高能率性、小型軽量で価格も手ごろであったことから、当初予定した試販を大きく上回る注文があり生産が追いつかない状態が続いた。

現在の耕耘機

1970年(昭和45年)フロート式超軽量田植機を新たに研究し、

機体の軽量化、重心バランス、フロートの材質などの研究で試行錯誤を重ねたあげく、プラスチック製フロートを使用することによってようやく浮かすことに成功した。

1971年(昭和46年)から、田植機の代名詞ともなった「さなえ PF20」の生産を開始。